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高森明勅
2017.2.7 01:00

「公的行為」のイロハ

天皇と国民を直接繋ぐのは何より天皇の「公的行為」(象徴行為)

しかし、この公的行為について、
「保守」系知識人らもまるで理解できていないようだ。

例えば東谷暁氏は、昨年8月8日のお言葉の根拠となる憲法の
「条項はどこにもない」
などと述べていた。
ならば、
3大行幸とされる国民体育大会や植樹祭、
豊かな海づくり大会へのお出ましの根拠はどうなる?

被災地や戦跡へのお出ましは?

国会の開会式へのお出ましや、来日した外国元首とのご会見すら、
憲法上の“個別的”
な根拠規定はない
(国会の「召集」自体や、「
外国の大使及び公使を接受すること」
は国事行為で、
第7条に規定があるが)。

それらは全て憲法上、天皇が「象徴」とされている
(第1条)ことによって“期待”される行為。
その場合、以下の3つの条件をクリアする必要がある。

(1)象徴としてのお立場に反しない。
(2)
国政に関する権能に当たらない。
(3)
内閣の責任において行われる。

逆に言えば、これらの条件さえクリアすれば、
あとは国民の要請と天皇陛下のご意思によって、
全て決まることになる。

まさにネガティブリスト方式。

勿論、陛下がそれらをなさらなければならない、
法的義
務は一切ない。

憲法に規定されている13種類の「国事行為」以外は、
なさろうとなさるまいと、
突き詰めて言えば一切陛下ご自身の
ご意思に委ねられている。

国民の側からお願いし、
陛下のお気持ちでそれに応えて戴いている、
というのが基本的なあり方。

それに加えて、陛下ご自身が「国民のために」という
強いお気持ちでなさる場合だ。

どれも結局、陛下ご自身のご意思に基づく。

呆れたことに、陛下がご自分のご意思によって
何かの行為をなさること自体が、
憲法違反と錯覚している者も
結構いる。

それでいて、上記の行為が「憲法違反」などと批判された例はない。

それらが、陛下のご意思(国民へのお気持ち)による
行為と知らない者も、
少なくないのではないか。

昨年8月8日のお言葉だけに過敏に反応して、
憲法違反とか「
クーデター」とか大騒ぎした向きもあった。

だが違憲でないことは、既に高橋和之氏らの見解を紹介した。

政治的発言とならないよう細心の注意がなされたものとなっており
政治的効果をもつことは避けえないとは言え、
憲法に反していたというまでのことはない」と。

これまで繰り返し行われて来た公的行為の延長線上にある。

むしろ、そうした
公的行為を「象徴」の“務め”として大切にし、
社会の高齢化という現実を直視すれば当然、
「譲位」
という選択肢が“不可避的”に浮かび上がる
(迂闊なことに、
私自身も陛下のお言葉があるまで
気付かなかったのだが)。

国事行為はある意味で「摂政」が代行しても、
大きな違和感はないだろう。

しかし、公的行為はそうは行かない。

譲位(制)は、公的行為が恙無く行われる為にこそ必要。

天皇と国民を具体的に結ぶ「公的行為」の重大さを理解すれば、
譲位の恒久制度化がどうしても欠かせないと、
誰しも納得できるはずだ。

御製

幼子の
静かに持ち来(こ)し
折り紙の
ゆりの花手に
避難所を出づ

高森明勅

昭和32年岡山県生まれ。神道学者、皇室研究者。國學院大學文学部卒。同大学院博士課程単位取得。拓殖大学客員教授、防衛省統合幕僚学校「歴史観・国家観」講座担当、などを歴任。
「皇室典範に関する有識者会議」においてヒアリングに応じる。
現在、日本文化総合研究所代表、神道宗教学会理事、國學院大學講師、靖国神社崇敬奉賛会顧問など。
ミス日本コンテストのファイナリスト達に日本の歴史や文化についてレクチャー。
主な著書。『天皇「生前退位」の真実』(幻冬舎新書)『天皇陛下からわたしたちへのおことば』(双葉社)『謎とき「日本」誕生』(ちくま新書)『はじめて読む「日本の神話」』『天皇と民の大嘗祭』(展転社)など。

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